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2024.12.6
琵琶湖の煌めきを映す一粒
びわ湖真珠が生まれる場所へ
Text: Yoko Fujimori Photography: Yoko Kusano
Edit: Eisuke Onda & Sogo Hiraiwa
Translation: Ben Davis (The White Paper) & Futoshi Miyagi
はるか1300余年前、かの「万葉集」に「近江の白玉」と詠まれているびわ湖真珠。 さまざまな形状や七色に移ろう、複雑でいて柔らかな輝きが特徴です。 世界的にも稀有な淡水パールと言われるびわ湖真珠の魅力に触れるため、生産地である滋賀の町を訪ねました。
日本最大の淡水湖が生み出す輝き
丸型、楕円、細長いもの。 そして目を見張るほどの大珠(おおだま)や小粒のもの。 色もオフホワイトからサーモンピンク、淡いブルーやグレイッシュ、さらに七色に輝くものまで。 驚くほど表情に富んだ多様な色と形がびわ湖真珠の特徴です。 そのどれもがきめ細かく上品な艶を放ち、眺めるだけで心安らぐような色と輝きは、まるで静穏な凪の湖面にキラキラと乱反射する陽光を映すようです。

びわ湖真珠は、その名の通り滋賀県に位置する日本最大の淡水湖、琵琶湖が生産地。 湖の周辺に飛び地のように点在する、内湖(ないこ)にある養殖場で育てられます。 内湖はヨシが群生し、在来魚や水鳥が多く生息する豊かな漁場。 風を受けて小さなさざ波を立てる湖面には養殖棚の杭がはるかに広がります。
約100年前の昭和初期に養殖が始まって以来、最盛期には年間6トンもの生産量を誇ったびわ湖真珠。 そのほとんどが海外輸出向けだったため、日本ではあまり知られてきませんでした。 天然真珠のような質の良さと美しさを持つびわ湖真珠は、欧米で高く評価され、1960年代から輸出用の生産量が増加。 ピーク時には100軒近い養殖業者が軒を連ねたそうですが、1980年代初頭、都市開発による急激な環境変化や琵琶湖の水質汚染により、母貝である池蝶貝(イケチョウガイ)が育たなくなり、わずか20年の隆盛ののち衰退するに至った歴史があります。
現在、養殖業者はわずか5軒ほどですが、厳しい時代を乗り越え、環境の改善などに尽力してきた人々によって、今も大切に生産が続けられています。
「世界的に見てもこれほど多彩な色形のパールが作れる生産地は珍しいのではないでしょうか。 色や形、照りと、ひとつとして同じものはなく、すべてが一点もの。 その希少性の高さや固有性、そして生産者の顔が見えるローカリティも、びわ湖真珠の魅力だと思います」
そう語るのは「神保真珠商店」の3代目、杉山知子さん。 創業者の祖父、そして父と2代にわたり店をもたずびわ湖真珠を販売していましたが、「実際に見て、触れて、もっと多くの人に美しさを知ってもらいたい」という杉山さんの思いから、2014年、大津市に初めて実店舗をオープン。 今やこの店は生産者とお客様をつなぐ場となり、杉山さんはびわ湖真珠の文化を国内外に伝える存在になっています。
「海の真珠の養殖期間が半年から1年ほどなのに対し、びわ湖真珠は母貝を育てるのに3年、そこから真珠を巻く(=作る)のに3年。 実に6年という長い時間のなかで作られます。 3年かけて成長するので巻きも厚くなり、それが深くきめ細かな艶になる理由とも」
そして浜揚げ(収穫)後は研磨加工などはほどこさず、塩水で洗うだけという「とてもナチュラルな仕上げなのも魅力」と語ります。
「びわ湖真珠は既に珠(たま)自体が充分にデザインされていると思うので、私が店の工房でアクセサリーをつくる際は、余計な加工はせずなるべくシンプルに仕上げるようにしているんです」



きれいに整えられた酒井さんのオペの道具。 「昔は独自の技術を守るために、職人同士でどんな道具を使っているかは秘密にしていたんですよ」と酒井さん。
びわ湖真珠の多彩な色形の秘密
さて、びわ湖真珠が多種多様な美しさに富んでいるのはなぜなのでしょう。
まず真珠の養殖法には有核と無核の2種類があり、核と呼ばれる貝殻でつくられた球体と細胞片(貝の本体と貝殻を繋ぐ外套膜の一部)を入れ、綺麗な丸型の真珠をつくるのが有核。 そして外套膜の部分にポケットをつくり、その中に細胞片を埋めるのが無核。 海の真珠のほぼすべてが有核養殖であるのに対し、有核だけでなく無核で表現力豊かなパールをつくれることが淡水であるびわ湖真珠の持ち味なのです。
池蝶貝の外套膜につくるポケットの太さや深さ、また細胞片の長さなどを調整することで、あの多彩な形状が生まれます。 核を使わないため同じ細胞片でもひとつとして同じ形になりません。 深部まで何層にも厚く重なった真珠層によって、柔らかく温かみのある輝きになるのも大きな特徴です。
こうした核や細胞片を埋め込む作業は「オペ」と呼ばれ、まさに養殖業者の技術と表現力が発揮される工程。 作業場には医療器具さながらの道具が並びます。 杉山さんが長くお付き合いする生産者の一人・酒井京子さんは、オペ歴40年のエキスパート。 外套膜を5mm角ほどの大きさに的確に切り分けていく様子は、まるで外科手術を見ているかのようです。

池蝶貝の外套膜から細胞片(ピース)を切り取る作業。 手際よく無駄のない所作から技術の高さが伝わってくる。 耳元には一粒のパールが。

きれいに整えられた酒井さんのオペの道具。 「昔は独自の技術を守るために、職人同士でどんな道具を使っているかは秘密にしていたんですよ」と酒井さん。

木舟に乗り、平湖の養殖棚で池蝶貝の様子を確認。 ひとつの網に貝が6個ずつ配置されており、写真の貝は10歳くらいのもの。
酒井さんの養殖棚は“淡水真珠養殖発祥の地”と称される内湖のひとつ、「平湖」にあり、生育する池蝶貝は約6万個。 彼女の考案による小さな核を埋めた愛らしい小粒真珠は、それまで大珠ばかりが珍重されていたことに疑問を感じ、「日本の女性にはもっと小ぶりなサイズの方が使いやすいのでは」とつくり始めたそう。
また、通常は有核の珠を浜揚げ(収穫)する際に割ってしまう貝を、割らずに2度、3度と収穫する手法をいち早く始めたのも酒井さん。 これは環境や生物になるべく負荷をかけずに生産活動を行う、サステナビリティーへの意識とも重なるように感じます。 貝は貝柱が剥がれると死んでしまうため、母貝を傷付けず真珠を取り出すには高い技術が必要です。
「池蝶貝は本来20年~30年も生きる貝ですし、自分の手持ちの貝をもっと大切にしていきたいと思ったから。 若い貝は巻きが厚いけれど、年数を経た貝の方が照りが増すこともあるんですよ。 女性がとても少ない養殖業界なので、かえって前例などに捉われず、自由な発想ができたのかもしれませんね」


木舟に乗り、平湖の養殖棚で池蝶貝の様子を確認。 ひとつの網に貝が6個ずつ配置されており、写真の貝は10歳くらいのもの。


池蝶貝が育む個性あふれる美しさ
生産者さんに話を伺っていると、ひしひしと伝わってくるのが母貝である池蝶貝への深い思い。 琵琶湖固有種である池蝶貝が、びわ湖真珠のオリジナリティーを形づくっていると言えるでしょう。
池蝶貝は卵から孵化するとグロキヂュウム幼生という肉眼では見えないほど小さな赤ちゃんとなり、ヨシノボリなど淡水魚のエラやヒレに寄生して成長する珍しい性質があります。 これも養殖が難しいと言われている理由のひとつです。
池蝶貝の研究職からやがてグロキヂュウム幼生に魅了され、生産者の道へと進んだのが守山市に養殖棚をもつ三上史雄さん。
「シャーレのなかで動き回っている幼生の姿が可愛いくてね。 池蝶貝はつくれない形はないくらい、色んなものがつくれるんです。 通常は3年ですが、僕は5年ほど育てているものもあります。 貝自体が大きいので厚みのある大きな真珠がつくれますし、びっくりするほど思いがけないものが生まれるときもある。 そこがびわ湖真珠の面白いところですね」
ピンクやパープルなどバラエティー豊かな発色は、貝殻の裏側にある色味を観察し、そこに接着している外套膜を切り取ってイメージする色の細胞片をつくっていくそう。 有核のオペによって真円の「ラウンド珠」をはじめボタン型のもの、また無核のオペでは棒状の「スティック珠」や2つのパールが連なる「ツイン珠」などユニークな形状を探求し続けているのも、三上さんならではです。

固有種である池蝶貝について熱心に語る三上さん。 「池蝶貝はグロキヂュウム幼生(赤ちゃん)のときに小さな2枚の貝をパタパタと羽ばたかせて動くんですよ」
生産者のお二人は穏やかで謙虚な佇まいで、いつしか学者と話しているような感覚になります。 生き物と対峙する真珠養殖は、研究や実験的な側面も大きく、作業室はさながらラボラトリー(研究室)のよう。
そして天候や貝の成育具合と真摯に向き合う様子は、自然と対話するワインの醸造家の姿とも重なり、また釉薬がどのような作品を生み出すのか、窯の外で天命を待つ陶芸家のようにも感じられたのでした。
琵琶湖を愛する生産者と販売者によって、大切に受け継がれているびわ湖真珠の技術。 淡水パールならではの、柔らかく上品な輝きと温かみのある感触は、身につけてこそわかるもの。 一粒の湖水の輝きが、日々に穏やかな時間をもたらしてくれるはずです。
