2024.7.18

過去を見つめ
白い文様を摺る

京都かみ添 嘉戸浩の唐紙
インタビュー

Text: Masae Wako    Photography: Riku Ikeya
Edit: Eisuke Onda & Sogo Hiraiwa
Translation: Ben Davis (The White Paper) & Futoshi Miyagi

上 / 唐紙を摺るための版木は木質が均一でくるいの少ない朴(ほお)の木製デザインは嘉戸さん自身が考える下 / 唐草の版木で摺った唐紙
工房の壁に貼られているのはこれまでに制作した唐紙のサンプルや色見本一つひとつが丁寧で几帳面なにげない風景からも嘉戸さんが仕事に向かう際の姿勢が伝わってくる

夕さりの仄暗さに時を知り月灯りの下で詩歌を詠む光慈しむ平安の時代に生まれたのが雅やかな装飾と豊かな質感をもつ唐紙ですうつろう光とともに表情を変えるその紙に人は千々なる想いを寄せたことでしょう京都市西陣に工房かみ添を構える嘉戸浩さんはそんな唐紙を現代に引き継ぐ唐紙師白い和紙に白の文様をのせ千年の伝統と現在とを大きく俯瞰しながらものづくりを続けています

古い町家の引き戸をあけて入る店内は薄暗くモダンな什器には白い封筒やはがきがぽつんぽつんと並んでいますよく見るとそれは白一色ではなく白地に白で文様をのせた唐紙陰影と呼ばれる手前の地紋のように浮かびあがる表情が唐紙師嘉戸浩さんの生み出す世界です
 
大徳寺のご住職や茶道の先生織りの職人さんなどとびきり高い審美眼をもつ方々が店前の通りをふらりと歩いていかれますいつ見られても恥ずかしくないものを作らなくてはという気持ちはいつも心のどこかにありますね
 
そう話す嘉戸さんの唐紙工房兼店舗かみ添京都市の西陣に建っています唐紙とは和紙の上に木版による文様を写し取ったもの平安時代本来は文字や絵を書きつけるための用紙だった紙自体にも美しい装飾をほどこすようになったのが始まりです京唐紙の老舗で5年ほど修業を積んだ嘉戸さんが独立したのは2009具引きした白地の和紙に雲母(きら)で文様を摺った唐紙で広く注目をあつめました具引きとは顔料で和紙を刷毛染めすること雲母は花崗岩を砕いた鉱物色の唐紙を作る際は胡粉や雲母に色絵具を加えます
 
よく白地に白は新しいですねと言っていただくのですが実は具引きも雲母摺りも唐紙のいちばんの基本むしろ唐紙の原点の姿でしょう僕はそれが最も美しいと単純に思うから作っているだけなのです
 
唐紙作りは店舗の2階にある工房で行います木枠にガーゼを張ったふるい練った雲母をのせその面を版木のベタ面に押しあてることで雲母を版木へと移し盛るこの版木の上に和紙をのせ手で押さえてから静かに紙をめくる ── と白い和紙にかすかな光を放つ白い文様が現れます
 
同じ版木同じ絵具同じ和紙でも毎回少しずつ表情が変わるんですその日の天候や湿度によって雲母を練るときの水加減にも神経を使いますし版木の湿らせ具合も調整しなければいけません和紙には和紙漉き職人さんの版木には彫師さんの手くせも入りますがそういったコントロールできないノイズも受け入れるところが唐紙の奥深さまったく同じものはできないことに味わいがあるという点に惹かれます

上 / 唐紙を摺るための版木は木質が均一でくるいの少ない朴(ほお)の木製デザインは嘉戸さん自身が考える下 / 唐草の版木で摺った唐紙
  グラフィックデザインから唐紙の道へ

日本の大学でプロダクトデザインを学んだ後サンフランシスコの大学でグラフィックデザインを勉強した嘉戸さんは卒業後の2002年よりニューヨークの出版社でアートプロダクションに関わります
 
当時はiMacの全盛期で誰もがPhotoshopIllustratorを使うことに夢中でしたけれど僕が興味をもったのは印刷ですサンフランシスコには古いタイプの活版印刷所がたくさんあり自分のポートフォリオを作るために印刷所の職人さんと話す時間が本当に楽しかった印刷機が動くガッチャンガチャンという音調色中のインクの香りそれぞれに違う紙の手触りデスクトップ上で作るものより身体や五感で感じる世界が自分には心地いいのだと気づきました
 
そして2004生まれ故郷である京都へ戻り唐紙の仕事に就いたときに感じたのは版刷りである唐紙はいわば古典印刷物だということ唐紙の意匠を考案することとロゴやタイポグラフィをデザインすることはそう遠いものではないこともわかりました修業先でたくさんの古典文様を学び独立した後は版木のデザインも自ら手がけ始めますかみ添の唐紙がもつ余白の美しさや文様の配置の心地よさ襖や屏風などの調度として設えたときに立ちのぼる存在感はプロダクトやグラフィックを学んだ嘉戸さんだから生み出せるものでしょう
 
僕は作家ではなくお客さまから依頼を受けてものを作る職人なので自分でゼロから文様を考えることは少ないのですそれでも例えば“蓮の文様を”という依頼をいただいた際はまず修業先で身に着けた古典の知識が役立ちます伝統的な意匠には一つひとつに背景や意味があるためそのままコピーすることはありませんですが文様の要素をばらばらに解体してから組み直し新たな蓮文をつくる……というようなことはできるんですねそれは確かにグラフィックを知っている僕の強みかもしれません
 
さらに嘉戸さんは唐紙の伝統を守ってきた職人たちだけでなく唐紙を使う人や唐紙と身近に接している人といった外の人の話こそを積極的に聞きに行くのだと話しますそれは伝統をより客観的に捉えることができるから
 
僕が職人の知識として覚えていたのは“江戸時代の京都の襖はこれくらい”というサイズですが昔から唐紙を使われているご住職の話を聞くと“うちのは江戸時代初期やけど襖紙もっと大きいで”とおっしゃる唐紙の語源についても中国の唐から伝わったという一般的な説とは別に柄の入った和紙を“高価なもの”という意味で唐物と称したそういう説もあると教わりました正解がわからないことも多いでしょうでも僕はいろんな人の言葉を聞いて勉強したいし自分で考え納得した答えで伝統と向き合いたいんです

  偉大な過去の摺り手との対話

独立してからの15年間休むことなく作品を作り続けている嘉戸さん寺社の襖紙などの建具づくりや美術作品のための唐紙制作パリの紙工房とともに“西洋の唐紙”を手がけるプロジェクトなど活動領域も多岐に渡っています
 
文化財修復の仕事にも少しずつ携われるようになりました昔の文様や版木に触れ見たことのない紙や色と出合うその過程でとても多くのことを学びます文様を自分の仕事に参照するということではなく経験や技術を自分のなかに蓄えていく感覚です
 
2018年には武蔵野美術大学の嵯峨本謡本復元プロジェクトに参加します嵯峨本とは17世紀初めに洛北の芸術家本阿弥光悦らが手がけた木活字の書物であり日本でもっとも美しい印刷本とされている文化財活字だけでなく雲母で摺りだした文様など装飾の美しさでも知られています
 
初めて目にする嵯峨本に緊張しましたが実際に間近で見ておかしな言い方ですが安心したんですなぜかというと完璧ではないことがわかったからおそらく当時の木版摺りが11枚精魂込めて摺る特別なものというより日常的な仕事だったからでしょう文様の欠けやムラも良しとしたのだなと少なくとも僕には思えました偉大な先達にも人間らしいところがあり僕らとそんな変わらない僕でも唐紙を作っていいよと言われたようでほっとしたんです実際本来はこうだったんだろうという理想的な摺りも復元してみましたがきれいすぎて少し味気なくもありました
 
また嵯峨本全体をいちどきに見比べることで手くせの違う5人の摺り手が関わっていたことも想像できたそうです400年前の文化財に触れることで制作工程や人々の手くせまで感じることができたそれは嘉戸さんにとってかけがえのない財産になりました
 
反対に三十六歌仙(京都西本願寺に伝わる写本国宝三十六人家集)の雲母摺りはどうしてこうも美しく仕上げられたのかがいまだにわからない圧倒的にきれいで見事で何度見ても考えても理解できませんそういうこともあるんです

工房の壁に貼られているのはこれまでに制作した唐紙のサンプルや色見本一つひとつが丁寧で几帳面なにげない風景からも嘉戸さんが仕事に向かう際の姿勢が伝わってくる
  オルタナティブな紙の世界に
絶対的な価値が宿る

紙の仕事は絶対に消えないそう思います
 
ひとつも力むことなく淡々と100年後の唐紙はどうなっていますかとたずねた問いに嘉戸さんはこう即答しました
 
ペーパーレスの時代はますます進むだからこそ紙は残るんです数十年前はアナログの紙がマジョリティでゆえにデジタルに価値があったけど今はデジタルがマジョリティ便利になるほど不便なものに価値が出るのは世の常ですからオルタナティブな紙の世界に絶対的な価値が宿りますもちろん何がなんでも手仕事でという気持ちはありませんパソコンで文様をレイアウトするほうがいいケースなど道具としてデジタルを使うことに抵抗はないんです
 
陽が落ち通りに灯りがともる時刻が近づくと店内はお寺の堂内のようなうっすらと墨がかった光に包まれます昼と夜のあわいのなかで店先に並ぶ雲母摺りの白が先ほどとは違う輝きを湛え始めていることに気づくのです
 
僕が唐紙に惹かれ続けているのはこの素材が好きだからです唐紙の世界では当たり前のことでも外の世界から入った僕にとっては胡粉と雲母がつくる白や和紙の手触りだけで十分心が満たされるたぶん唐紙本来の美しさへと還っているのだと思います僕のベクトルは未来というより過去に向いている長く伝統文化の世界にいる人たちはここからどう進みどう変わるかという未来を見つめるでしょうでも途中で入った者には未来にも過去にも行ける強みがある修復の仕事も続けたいし消えかけている昔の素材や技術にもう一度光を当てるものづくりにも挑戦したい過去を見つめながら唐紙の文化を深く掘り続けている感覚です

左 / 工房は80年続いた理髪店を改装した建物の2階にある間口が狭く奥が深い京町家ならではの仄暗さが心地いいお客さまの声に耳を傾けることを大切にしていますという言葉に職人としての矜持がうかがえる右 / 唐紙に使うのは越前和紙壁に走る縦横の線は仮張りの跡仮張りとは摺った唐紙にもう1枚紙を裏打ちし壁に張り込んで乾燥させる作業だ

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嘉戸浩(Ko Kado) / 1975年京都府生まれ京都嵯峨美術短期大学専攻科プロダクトデザイン学科卒業後渡米アメリカでグラフィックデザイン学んだ後ニューヨークの出版社でデザイナーとして活動帰国後唐紙の老舗工房での修業を経て2009西陣にある町家を改装し店舗兼工房かみ添をオープンした特注による襖などの制作のほか唐紙を用いたステーショナリーづくりや唐紙の技術を生かした書籍の装幀も坂本龍一のRyuichi Sakamoto 2019では手描き譜面から版木を起こした木版作品などアートワークを担当

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